|
倒れる直前の勤務(生活)
1)勤務状態
会社が本格的海外生産を始めた2年後に倒れた。
日本の企業が我も我もと東南アジアに進出して、国内の「ドーナツ化現象」と言う言葉が出て来たのもこの頃ではないだろうか。
その頃の私は課長職であったが海外出張が頻繁だった。つまり生産部門の海外生産担当課長だったからである。それに現地語を離せる従業員も少ない事から、3カ月のマルチビザでは不足で福岡や沖縄でいったん帰国手続をして、またその日に再入出国を繰り返したりしたことや、日本のラーメンが食べたくてそれに合わせたりとか。なにしろ通訳無しで現地国内を飛行機や鉄道でかけずり廻り、工場の生産ライン・スタッフを指導できる人が少なかったこともあり、契約から生産立ち上げ、品質管理、納期を全部一人で担当していた。
また中には現地で調達の困難な部品を日本で集めて現地の工場に出荷したりまで全部の責任があり、私もある程度満足しながら働いていた。
それまでも約8年前から血圧を下げる薬を飲んでいたが、長期出張になるとやはり飲んだり飲まなかったりが続いたが体調の異常は全く感じられなかった。
2)国内生産工場のリストラ断行
その時期を同じくして会社はリストラを断行した。海外生産が軌道に乗ったと言う判断だろうか。
急拠現地から呼び戻されたが、こうなったのも「海外生産」で、「製品が安く出来上がるようになり、もちろん国内の手間が余っての工場部門の整理であり、工場の整理をする原因は私にもある」と感じて自分から退職者に応募したが、社長から思い留まるように説得され結局残ることになって同じ仕事を続けた。
それまで製造課の中での海外生産係だったが、海外生産部が出来て上司も新しく決まり、メンバーも追加されてみんな新たな気持ちでスタートを誓い会ったものだった。
3)最後となった海外出張
現地工場にも新しい上司の紹介と新たな現地調達品探しに出張した。1996年4月8日だったと思う。持ち込んだサンプルが相手国の空港のレントゲンに発見され、インボイスも忘れた事からやむなく現地の生産委託会社に依頼し、なんとか現地の税関から取り出した。
このころから異常に気が付くべきだったのだろうが、血圧の薬は2週間分持っていたし出張期間が1週間であることからまったく気に止めなかった。
現地の会社のスタッフに新しい上司を紹介し、今後の新たな生産品の見積もりの依頼、新たな現地調達品を求めて毎日現地工場の見学に追われ、アフターファイブは海外に来たからと夜遅くまでカラオケバーに忙しかった。また観光旅行は日本が休みの土曜日とし、日曜日入国、月曜日に帰宅の予定を立てたが、どうした訳か日曜日に帰宅出来たのだ。今でも妻は「そんなに無理して出勤しなければ良かったのに!」と言う。まったくそのとうりである。
4)沖縄で1泊出来なかった
予定どうりに沖縄で入国した。沖縄で国内線の飛行機に間に合わなければ、そこで一泊のつもりだったが間に合ってしまったのがいけなかったのかも知れない。結局翌日の欠勤の理由が無くなったのだ。 我が家に到着が夕方の6時頃だろうか。翌日からの出社がつらかった。
どうしてこんなにと自分でも異様に思えるほど体が重かった。帰国して約1週間後に倒れたのである。
このページのトップに戻る 戻る Homeに戻る
|