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徐々に自分の状態が分かってくると、とんでもない体になってしまった事にショックだった。
人前に出るのが恥ずかしいとも思った。入院して直ぐには誰も見舞いに来た様子もなかったが、1カ月、2カ月になると会社の同僚や他の部門の方々が見舞いにやって来た。
その頃の一番のショックは、海外研修生がわざわざ見舞いに来てくれて時だ。
普通であれば気持ち良く迎えられたのに、こんな病気になって口元さえおぼつかない状態になった今は会う気がどうしても起こらなかった。
これまでも来てくれた人には実習生の皆には見舞いに来ないようにと連絡しておいたのに・・・。ちょうど私が病室を抜けてリハビリ室にいたときに彼らが病室に来たらしい。と言っても彼らが自分達だけで来られるはずがない。つまり「連れて来ないで」と言ったのが良く伝わっいなかったのが苦やしかった。その頃は本当にみじめに思えてしかたがなかった。
ちきしょう!どうして言ったのが伝わっていないのかと・・・・・。でも本当は彼らに「どうしても見舞いに連れて行ってくれと頼まれた」からだったとのことであった。彼らが引き上げた後に大きなメロンと果物がベットに置かれてあった。それを見た時は素直に「申し訳ない」と思った
私が全部まとめて面倒を見た海外生産の方はどうなっているのか。見舞いに来る人は皆「仕事を忘れて無理をしないでゆっくり治療して」とお仕着せのように行って引き上げた。私もその気になっていたがふっと思い出した。新しい上司を連れて行ったのを思い出した。それから一緒に戻って来た事も。そして今後の大まかな内容や海外出張スケジュールを書いたメモを机の上に置いていた事を思い出した。なんと今はそれに従って動いているそうだ。
内心「俺が居なければ何も出来ないのか。」と思うと同時にさみしかった。つまり代わりに別の内容では進んでいない事が非常にさみしかった。
新任の上司にも一応の業務については説明してあったが、詳細までは把握出来ていなかったのだろう。
しかし研修生は?私の計画にはあったのかな?いや覚えていない。いやメモの中にちゃんと書かれてあったのだった。
不思議な気分であった。私のあのメモで仕事が進んでいるなんて、情けなくも思った。今すぐに出社したい気持ちであった。自分は半身完全マヒの病気までして頑張って来たのに・・・・・・・。悔しさとみじめさだけが残った。
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