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倒れて初めて冬を迎えた。11月、12月と寒さが段々と体に染みてくる。特にフローリングの床は厚手のくつしたでも痛くて歩けない。とうとう我慢しきれず、妻が私の生命保険の担当者に相談して見た。
近くの温泉病院を紹介されて、8月末に退院にも関わらず生命保険が適用されると言う、今思うと非常に都合の良い話だった。それではと長女と妻がその病院を見学に行き、大丈夫そうな言葉で帰ってきた。
私と同室にちょっと先輩年代の方のBさんが居た。隣街からの入院との事だった。
その後、退院後も今でもメールやHPでお世話になっている方です。
その年の冬は暖冬の割には雪が何回も降った。例年の倍以上の回数の積雪でした。また、寒くて暖房の効いている施設に潜り込んだつもりが、暖房があんまり効いていなかったのです。そのはずで、湧き出ている温泉の暖気の暖房だったのだ。朝食は7時でのために、6時が起床ですから朝は全員が震えながら、痛さを我慢して洗顔する。さびれた湯治場のようはこうなのかなと思わぬ体験だった。
そして風呂は大浴場で毎日入れるが、お湯の温度が45度近くて熱すぎる。
最初クレーンのような設備で入浴したが、余りの熱さと、リフトの乱暴な扱いに、無理して歩けると言って病院のリハビリの担当医に入浴状況を見てもらい、妻の介護で入る事が出来た。妻は周り全員が男性の中でただ一人の女性である。
段々と春から初夏になるに連れて、体も慣れてきたが、働けるようにはまだまだの状態である事を自分でも感じていた。
5月になってから、会社からも「傷病手当がそろそろ切れるから」と催促されるようになっていた。
私は退社を決意した。規定の手続きに従って先ずは「退職届」を入院先のベットで作成・印刷し、妻に郵送を依頼した。
即座に会社から総務課長が飛んで来た。
でも私の体の様子と決意を察すると、今度は各種手続きのために女性事務員が来た。
彼女は私が転勤する以前から勤めているベテランで、細かな点まで教えてくれて、一部は手続きを代わってやってもらったような気もする。
サラリーマンから無職になるのは意外と大変だったような気がする。
暖かく天気の良い日は、病院の中庭を杖を使って散策できるまでになって退院した。
倒れた翌年の6月中旬であった。都合10ヶ月の入院となっていた。
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