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★倒れた瞬間★入院先への通院★見舞客の接客★同じ病室の看護人★最初の退院と我が家での生活
主人の仕事や勤務状態は先のページに紹介されているので、このページでは私から見たその時や現在、看病の経験を主体に書こうと思います。
夜遅く主人が会社の友達と帰宅した。が様子が変だった。玄関の廊下に崩れように横になって「腰が抜けたようだ」また「ぎっくり腰だ」とも言ったような気がします。
取りあえず居間に運んだが右側が異様でした。会社の友達はすぐに帰ってしまった。詳しい話を尋ねようと思ったが、もういない。主人は友達と酒を飲むからと電話があった事から、最初は飲み過ぎなんだろうと思っていた。主人は居間で「眠いから眠らして」とこたつで眠った。約1時間ぐらい過ぎて突然「おしっこ」と言って起きた。が、体が動かないし歩けない。とっさにふろ場からバケツを持って来てそれに済まさせた。
どうも様子がおかしい。こんな主人は初めてだった。でも「眠らして」ばかりであった。
夜も大部更けて11時過ぎに二階に行って眠るようにと起こしたが、特に右側に力が無い。これは何かあると感じて、タクシーを電話で読んで、長男に主人をおんぶしてタクシーまで運ぶように頼んで急いで外出の支度をした。
病院に着いても主人は眠っているようだった。当番医に様子を説明して「それじゃレントゲン撮影」となったがレントゲン技師が非番の為に不在で、呼び出しているようだったがなかなか来ない。
血圧を計ったら異常に高く「200」を越えているとのことだった。かなりの長い時間に感じられてやがてレントゲン撮影をして脳出血と診断され、すぐに隣町の専門病院に「搬送します」からとの事でした。長男には歩いて家に帰るように話して、私は主人と一緒に救急車に乗った。日本の道路がこんなにも凸凹なのかと思うほどに救急車の中が揺れた。点滴の入れ物が外れそうになって必死に押さえていました。
★倒れた瞬間★入院先への通院★見舞客の接客★同じ病室の看護人★最初の退院と我が家での生活
隣街の脳外科専門病院に入院した。最初に診察した病院からその日の深夜隣町まで救急車で運ばれた。私には初めての病院であり、初めての場所だった。最初はICU室に居て、面会時間も午後3時と決められていたし、長時間病院に居ても何も出来ずむなしく祈る気持ちで引き上げました。
3人の子供のうちで一番下(当時中1)の子供がベットで点滴を打たれているおとうさんを見て一番ショックを受けているようでした。
初めの頃は会社の総務課の方が来てくれ、車で病院まで一緒に行ってくれてありがったかったが、主人から「会社に迷惑をかけちゃだめだ」との指示で自分の力で通う方法を探した。やがて一般病棟に移動となり、面会時間に制限が無くなる頃は5月のゴールデンウィークの直前でした。そのころから暖かい気候となって来ました。私の住んでいる家からバス停留所までは健康な人で役10分の距離であったが、実は私も脚に障害を持っており、これまでは玄関からスーパーの入り口のすぐ近くまで主人の車で乗せて貰って買い物をしていたが、主人が倒れた今は毎日の事だし収入も減るだろうから「タクシーを使っちゃいけない」と心に決めて、家からバス停までを約20〜30分を掛けて歩きました。
もちろんこのときが初めて自分でバス停まで歩いたのです。長男にバスの時刻と乗り換えの方法を調べてもらい、子供が登校して洗濯物を干してから家を出ると約10時頃に病院に着いた。主人からはそれでも遅いと言われたことがあったが、家を出るまでの順序を説明し我慢してもらいました。
真夏の日照りの時は、新興住宅地のため道路の街路樹がまだ小さいため直射日光がじりじりと暑い。我慢できずにバス停の近くのコンビニに入って涼んだ事もあります。片道約50分のバス(途中乗り換え)での通院と主人が倒れてただならない病気と知ると、私の体重が一気に減少しました。
主人の記憶や言葉がはっきりし出すと、私の通院を2日に1度にしてもらいました。主人からすると急に動けるようになった私が不思議に移ったようです。
★倒れた瞬間★入院先への通院★見舞客の接客★同じ病室の看護人★最初の退院と我が家での生活
様態が落ち着きリハビリが始まると不思議と見舞客が途切れた。この病気は「時間を置かないと・・」とのイメージが強いらしく、見舞客が訪れたのは入院してから1〜2ヶ月頃のように思う。ほとんどが会社関係であるが、だいたい課長クラス以上は日中に来てくるが、それ以下の方は会社を退社後がほとんどであった。でも言葉が「はっきりしている」とか車椅子の操作等を見て「以外と早く回復するよ」と楽観的な評価をしてくれました。今にして考えると、その言葉は見舞客の方が早く病院を去りたい為の言い訳に聞こえて来る気がしてならないのです。この片田舎では小説「父帰る」に登場してくる「気功師」のような方もいません。
段々気が滅入って来る。 なんで私の主人がこんな目に、何もいけない事をしていないのに、ようやく主人一人の稼ぎで家を建てたばかりなのに。くやしい。悲しい。
主人の実家には入院した次の日に電話で知らせた。主人は農家の次男で高校を卒業してすぐに東京に出て来てもう30年近くになっており、何となく今の姿を親の前にさらすのが嫌らしく、「もう少し良くなってから」と言われていました。私の二人の姉にも電話で連絡し、見舞いは「落ち着いてから」にしてと頼んだと思います。いよいよ会社の同僚の方が見舞いに見えたが、私には偉い方がどちらなのか分からず、ただお礼を述べるだけでした。見舞客が帰った後で詳しく主人から聞いた。でも主人は自分からキチンと挨拶とお礼を述べていました。ふだん私と話すよりはっきりしたしゃべり方であったと思う。後で聞いたがやはり大部気を付けてしゃべっていたらしい。会社関係者は以外とさっと引き上げた。さして為になる話や具体的な運動法など主人の為になる事は何も言わない見舞客に、それでも何か冷たい飲み物を用意して置かなければといつも考える自分も不思議でした。心の中は来てくれるだけでもありがたかったのだろうと思います。
会社関係の方の見舞いは入院後1カ月を過ぎてからだった。親戚の人は入院後1週間ぐらい経ってからでしょうか。主人の食事時間に来られるのが何となく嫌で、ゆっくり話が出来る状況では無かったと思います。
中には孫を見せるために見舞いを兼ねて来るような人もおり、常識をわきまえるようにと大きな声で叫びたかったのも現実でした。この頃はようやく目も焦点が定まって来た頃でしょうか。そうすると言葉が出て会話も少し出来、話しかけると返事が帰ってくるが、時には我儘な言葉も多くありました。
★倒れた瞬間★入院先への通院★見舞客の接客★同じ病室の看護人★最初の退院と我が家での生活
同じ病室には他に7人の方が入院していたが、主人が一番若い患者です。でもこの病室の看護人の方は皆やさしかった。主人の左隣の方は同じ脳出血であるがノドにタンが詰まるらしく吸い取るための管をいれて吸い取っていました。食事も点滴と流動食以外取れない様子だったが、看護人の奥さんが毎日のように病院に泊まっている様子でした。テレビのある休憩所のような場所の長椅子に毛布での生活のようでした。
右隣のおじいさんも脳出血であるとの事だったが、高齢の為ほとんど寝ていましたが、たまにリハビリに出かけている程度です。このおじいさんの奥さんはかなりのお年であったが、やはりこの病院に泊まっている様子だった。完全看護の病院ではあるが、皆ご主人を大事している気持ちが伝わってくる。いずれも農家のご主人であるためだからでしょうか。
私も子供が全員すでに親元を離れていれば、病院に泊まり込んだと思うし、その方が体には良かったと思いますが。
やがて空きベッドが出来ると病室内の移動が行われ、主人も病室を移動した。病室の移動は回復していると医師が見ての処置だろうと思い、主人にしてみれば病室の移動が良かったように思われます。
やはりお年寄りの方の隣ではどうしても我慢できない事もあったようでした。それは汚い話だが排泄の処理時のあの匂いであるらしい。それでも時々自分から最初の病室に車椅子で出かけて行くようでした。そのころは2日に1回の通院で大部楽になって来ましたが、主人は夜のおむつが外したいらしい。それではと大人用の紙パンツ(オムツ)を買って病院に持って行ったら喜んでくれたが、すぐにこれでは「ダメ」の判断だった。特殊な尿瓶を病院から借りてベッドの脇において一晩様子を見る事にした。尿意で目が覚めて自分でちゃんと出来るかであるが、何とか出来たようだ。それからは病院に着いての最初の仕事が尿瓶のオシッコを処分になりましたが、主人は昼も夜もオムツが取れて満足のようでした。こうして主人の意識が順調に回復して来たが、手足の機能は全然だめでした。退院後の事を考え、主人のリハビリの状態ややり方を見学するようになって段々と退院の準備が感じられて来た。
★倒れた瞬間★入院先への通院★見舞客の接客★同じ病室の看護人★最初の退院と我が家での生活
病院側に押し切られる思いで退院した。8月31日でした。入院して3ヶ月とちょっとの期間です。家の中の改造は主人の退院には間に合わせたが、風呂の手すりとトイレの手すりだけであるが結構な値段が掛かった。
後で聞いたが、障害手帳を持っていると改造費用が援助されるとのことだったが、主人を迎える事で頭の中はいっぱいで、その恩恵を利用できなかった。
退院すると通院するための外出の準備等に忙しかった。車の運転でも一応の外出も出来るようになって、外で歩く練習にも力が入ってきたころだった。車の事故である。これで主人は大部自信を無くしてもう自分から外に出ようと言わなくなった。背中が丸くなっているようにも見え、まるで年寄りののような格好に見えた。
やがて冬を迎えて、主人の体が硬直したようになってきた。寒くてそして痛く患側の脚が異常に重いとの事でした。風呂に入る時は、脱衣所に電気ストーブを置き日中でもこたつから離れず、月1回の通院の時が大変に感じられるようになって来ました。こたつから出るのはトイレと風呂の時だけになり運動量も大部落ち込んでいます。朝早くは寒いからと10時頃ふとんから出て来る。夜は眠れないと遅くまで起きている。
通院のリハビリも寒いときは中止するし、段々と寒さが応えてきているよでした。私も東京育ちのため寒さには弱いが、冬にあんなに強かった主人だったが信じられませんでした。
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